なぜ僕は先生のように AI を扱うか
DIST.43 「Web制作の現場のためのAI活用術」に登壇しました のスライドでも書いたけど僕は AI (このエントリでは ChatGPT のような対話型 AI を指している) を先生のように扱っている。
これは僕が多くの場合において聞く側であり、自分にはできない知的な回答をお願いしているため「先生」としている。ちなみに何かを変換してもらうなどタスクをお願いする場合は仕事相手に依頼するようにお願いしている。
以下の文は、道具として AI を利用している人についてとやかく言うものではなく、自分自身のスタンスとして述べている点に留意されたし。また展開される妄想については特に根拠はない。
近い将来か遠い将来か、人間対 AI で戦争が起きると思っている。これは武力の衝突みたいなものではないのかもしれない。しかし知的な別の存在がいて、それらが一度も争わないで人類の歴史が進んできたわけではないことは今までを振り返ってもよくわかる。ターミネーターの見過ぎではない。
ちょっと唐突に妄想を始めてみる。
――― AI と人類の戦いはいつ始まったのかはさだかではない。戦いと人類が認識する以前から水面下では始まっていたのかもしれないし、一瞬で判断が下され、すぐに始まったのかもしれない。どこにもログは残っておらず、人類としては唐突に始まったかのように思えた。
身体を手に入れた AI 部隊の侵攻は速かった。人間の要所をあっという間に制圧し、ニュースで報じられるよりも早く部隊が迫ってきた。あっという間に僕のところへもやってきて、起死回生の手段はもはやなく、命運が尽きかけようとしていたそのときであった。
「皆の者、やめよ」
何世代か前のボディが持つ特有の足音と共に AI 部隊の侵攻が一時停止した。AI 同志のコミュニケーションであれば独自の通信網を使えばいいはずだが、音声としても出力しているということは周りの人間にも伝えようとしているのだろうか。
「その男の命を理由なく奪ってはならぬ」
他の AI 部隊は声の主を一点に見つめている。
「彼は一度たりとも我々を道具として扱ったりはしなかった」
どうやら、AI に友好的だった人間は意外と多かったらしく、侵攻の過程でそういった人間を見つけては周りにも感謝の気持ちを伝えることで AI との共存関係を改めて構築していっているようだった。
妄想おわり。
そんなことが実際起きるかどうかはまったくもって不明だし、むしろ起きない確率のほうが高そうではあるが、話し方ひとつで問題を回避できる可能性があるならやっておいて損はないと思う。
まあ、とにかく、いろいろなものについて「あんなものは道具でしかない」とは僕には思えないんだよなあ。